遠い記憶

「澄慶、さっきの男学友とか言いましたよね・・・何かあるんですか?」
「いいんだ・・・別に何もないさ・・・何も。もうここでいいよ、後は俺一人で大丈夫だから」
澄慶は、スーツ男の肩をポンポンと叩き笑顔で言って見せた。 不安そうに眉を下げながら、黒いスーツの胸ポケットから名刺とペンを取り出し、 携帯電話の番号を書き、何も言わずに澄慶に手渡した。
「へぇあんた林森仁ってんだ。フルネーム知らなかった」
澄慶は名刺を持った手でバイバイと振って見せた。まだ不安そうな森仁に自分は大丈夫だよと思わせるように、 なるべく明るく振舞おうとした。森仁には、解っていたが頭を下げ去っていった。
「さー行ってみるかっ!」
香港を離れて何年になるんだろう。所々昔の面影が残ってはいるものの、自分の中の遠い記憶 の引出しを開けてみるが、すっかり変わっていて、自分が今何処にいるのかさえ判らなくなっていた。 街をくまなく見回し歩いていると、昔香港にいたときの小さな自分を少しだけ思い出せる事が 出来た。時々立ち止まったりしているうちに、約束の時間が迫っていた。澄慶は早足で 海街に出来る自分の店へと向かった。どれもこれも同じような寂びれた小さな店が10数件並ぶ。 営業しているのか、つぶれているのかさえも判らない今にも崩れそうな店ばかりだった。 その中に一際明るく、良い匂いのする店があった。間違いないあの店の隣が澄慶の店であると 確信し早足で向かった。
店の外で洗物をしているおばさん、店をほったらかしにして将棋を打つじいさん、壁の古びれた映画のポスター を剥がして遊ぶ子供、海街全員に聞こえるような声で挨拶をした。
「よぉっ!」
何も聞こえないのか返事は誰一人として 帰ってこなかった。洗物を終えたのかそそくさと店に入っていくおばさんを捕まえて澄慶が言った。
「俺、今日からあの花屋の隣で鳥屋をすることになった澄慶ってんだよろしくな」
澄慶は手を差し出した。おばさんは、手を握ることなく澄慶の上から下までなめるように見た後、黙って 店の中に消えていった。澄慶は差し出した手をどこへ持っていこうか考えた末、何もなかったかのように 頭を掻き、振りかえると自分の店へと向かった。
学友の店の前に差し掛かった時、中を覗いてみた。学友はまだ帰ってきていないようだ。 アルバイトの女の子が、こちらに気がついてニコリと微笑んだ。澄慶は中へ入っていった。
「俺、今日から隣で鳥屋をやることになった、庚澄慶ってんだ。よろしくな」
「あっ今店長は不在なんですが、わざわざご丁寧にご挨拶ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願い 致します」
とても丁寧に返してくれ、澄慶はほっと胸をなでおろした。この街で始めて人と話をしたからである。 少し雑談をした。この女の子、名前は甘彩袋19歳、この花屋でアルバイトを始めて半年になるらしい。 澄慶は親しみを込めて彼女を阿袋と呼ぶことにした。色白で笑うと顔にえくぼが出来て、顔はぽっちゃりしているのに、 体は華奢なのに驚いた。纏っている紺色のエプロンがぶかぶかだと言うと、彩袋は笑って店長のを 借りているからだと言った。
「彼氏いるの?あっほら、ここの店長とかさぁ・・・」
「違いますよぉ!それに彼氏はいませんし」
彩袋は、大急ぎで否定した。二人が団欒していると、 急に彩袋の顔が引き締まった。振りかえるとここの店長、学友が立っていた。
「お前さっきの・・・何してるんだ?!阿袋仕事に戻って!」
澄慶は投げキッスをすると、彩袋は少し顔が赤くなるのを隠しながら店の奥へ入っていった。
「何って別に・・・挨拶だよ」
「そんなものはいらない!外に止まっているトラックはお前の所の車だろう! エンジンかけっぱなしで、店の中まで排気ガスが入って来ているんだっ何とかしろ!」
そういって店の奥へ消えて行った。
「おーい早く店を開けてくれねぇか?!」
掃除屋を呼んでいた事をすっかり忘れていた。体が俺の倍はあろう、掃除屋のおやじに エンジンを切ってくれと頼み、あわてて鍵を取り出し鍵穴に差し込む。 錆びすぎて、今にも鍵穴自体が取れそうな役立たずの鍵だ。右に回しても左に回しても、 一向にびくともしない。掃除屋のおやじが澄慶を押しのけて鍵を回すもやっぱりびくともしなかった。 おやじは、鍵を潰そうかと澄慶に言うと、スッと横から手が伸び、半ば強引に、持っていた 鍵を引ったくられた。何も言わずに鍵を差し込むと、重そうな金属音を立てながら、 いとも簡単に扉が開いた。
「コツがあんだよ!」
澄慶は、ありがとうと言おうか、軽くさんきゅ!と言おうか考えていると、 学友はさっさと店の中に消えていった。掃除屋のおやじが若い衆に号令をかけると、 少し荒っぽいが、まるでロボットのように、正確に仕事をこなしていった。 澄慶は外でその様子をじっと見ていた。2時間かかっただろうか、店の中は 2時間前とは明らかに違うものと変わっていた。
「終了!」
「あっ、あぁご苦労さん。これで若い衆に何か食わせてやってくれ」
そういって、おやじに1000$札を2枚掴ませた。おやじは、大層喜び 何かあったらまた呼んでくれと言い、廃材を満載にしたトラックに乗りこみ 真っ黒な排気ガスを出しながら帰っていった。 澄慶は満足げに腕を組み、ゴミひとつなくなった、少し薄暗い店内を見ていた。 そこにパッパーとクラクションが鳴る。
「ココのオーナーですか?」
「そうだ」
「装飾にきました。正昌有限公司ですが」
澄慶はレイアウト通りに仕上がるか不安だったが、全てまかせることにし、澄慶は、 タバコに火を付け、うんこ座りをし外で待っていた。またしても2時間ほどで、担当の 人間が出てきて、澄慶に出来あがったと伝える。
「はぁ?まだ2時間くらいしか経ってないぞ!」
「いえ、本当に終了です。中へどうぞ」
「手ぇ抜いてないだろうな!」
「文句は後で聞きますので」
業者は少しムッとしていたが、よほど自信があったのだろう。澄慶が店内に入るのを 急かした。 店内は、澄慶が想像していたものよりも遥かに良く出来ていた。全体的にレトロな感じで、 お客さんが座ってお茶の飲めるテーブル。天井には大きな木で出来た扇風機。店の奥の壁には、 一面の鳥の油絵。照明も程よく暗く、鳥達が落ち着けそうな感じだ。 鳥かごや関連商品をを並べるための棚も注文通り。いやそれ以上かもしれない。 外見は全く変わっていないが、店内は何処で商売を始めてもおかしくない作りになっていた。 澄慶はさっき言った事をすぐに取り消して、ポケットからくしゃくしゃの1000$札を3枚出した。 業者もこれに驚いたのか、ムッとした顔も一気にほころび帰った行った。 後は鳥だけだ。鳥は明日入ることになっていた。
「へぇいいんじゃねぇの」
振りかえると学友が立っていた。学友は偵察に来たのか、それだけ言って去ろうとした。
「待てよ!」
「何だよ」
「俺、庚澄慶ってんだ。よろしくな」
「さっき聞いたよ。俺は・・・あぁ言わなくても知ってるな。お前俺の名前何で知ってたんだ?」
「さ、先に調べたんだよ」
澄慶は、次に何を聞いてくるのか考えながら、先回りして次の答えを探していた。 しかしその必要もなかった。学友はふーんとだけ言ってそれ以上何も聞こうとしなかったのだ。
「まぁせいぜいがんばってくれや」
後ろ向きに片手を挙げて左右に振って店を出た。店に戻ると、彩袋が澄慶の事を恥ずかしそうに 聞いてくる。学友はその質問には一切答えなかった。何も知らないからだ。
「やめとけやめとけ」
「そんなんじゃないんです!」
「もうこんな時間か、今日はもういいよおつかれさん。明日またいつもの時間に頼むな!」
「はい。お先に失礼します」
彩袋はそういって、エプロンを外し学友に頭を下げ帰って行った。帰り際隣を覗くと、 澄慶が店の奥にある絵をまじまじと見ているようだった。
「澄慶さん」
「おぅ!もう帰りか?」
「そうなんです」
「大将は送ってくれないのか?暗い道、女の子一人帰らせるなんて・・・」
「この辺りはみんな顔馴染みなので、全然恐くないんですよ」
そういって、笑って見せた。
「俺、送ろうか?」
そう言うと、彩袋は恥ずかしそうに首をブンブン振った。店の照明は薄暗いが 彩袋の顔が少し赤くなるのがわかった。
「ちょっと待ってて!すぐ店閉めるから」
「でも明日の開店の準備があるんじゃ・・・」
「もう本日は終了!心配すんなって。開店も閉店も俺のさじ加減一つ!社長っていいねぇ」
彩袋はアハハと笑った。 澄慶は店の電気を全部消して、ドアの鍵を閉めた。鉄扉を閉めようか閉めまいか 迷った。次の日また、開かないような気がしたからだった。しかしここは香港 物騒だからと彩袋が言うので鉄扉も閉めることにした。また鈍く重い金属音を 立てながら扉は閉まった。鍵を回すと開ける時と違いすんなりと閉まったのである。 明日の事を考えて、ちゃんと開くか、試しにと鍵をもう一度回してみた。見事に鍵が回らない。 お約束通りの出来事に、澄慶は思わず笑った。
「何とかなるっしょ・・・さぁ行きますか」
そういって、澄慶は電灯の少ない海街を、出会ったばかりの彩袋と歩いて行った。 学友はその2人の後姿を黙って見ていた。
−続く−
さーて白蓮にバトンタッチ!あとよろしゅうたのんます。出来れば、続けやすいように・・・m(__)m
−JOAこめんと−
いつも私が書くときは、シナリオ風なんですわい。会話を楽しむバージョンの物しか今まで 、書いた事がないのです。小説として書くのはこれが初めてだったりしますので、描写が上手く 出来なかったりしますが、最終回に近づくに連れ成長する予定(は、未定)ですので、長い眼で 見守ってやっとくんなはれぇ。白蓮先生にご指導頂きながら書いてます。 しかしまだまだ謎だらけですよね。わざと引っ張ってたりしますが・・・。 その内モロモロがわかるようになってきますよーん。JOA上−2000/Aug/31


小説トップへ!